ミニにタコ

純文学作家志望者がつらつらと雑記を書き連ねます

愛を込めて花束を

人生の最終目標はなんだろうか。35歳にして改めて自分に問うてみた。

最終目標、というとやはりすんなり思い浮かばないが、当面の自分の目標は純文学を書いて入賞することだ。

 

これは以前のブログでも書いたが、自分の鬱屈した人生を文学に昇華させたいという思いがあったからだ。そうすれば今までの空虚な人生にも意味があったと思えるからだ。

(もちろん嫌なことだけでなく楽しい思い出もあったけどね)

 

しかし自分で言っておきながら思い悩んでいるのだが、「入賞」する必要はあるのだろうか。自分が納得するような文学が書ければ他人の評価がどうであれ、それで自分の人生に意味付けができる気もする。だが、やはり「入賞したい」という思いも強い。

 

それはなぜだろうか?

 

答えは簡単、「社会的に認められたい」からだ。

人間は社会的な動物なので、ご多分にもれず自分にもそういう承認欲求がある。

 

今自分の中には二人の自分がいる。

「社会のはみだし者というフレーズに酔っているイタい自分」と

「社会的に成功を収め、金と栄光を手に入れようとしている自分」だ。

 

どっちも本当の自分だと思うのだが、この二人はいずれ合体して一人の自分にならなければならない。説明するとこうだ。

「今は社会的に受け入れられないどうしようもない自分だが、小説という分野で天才的な才能を発揮し、世間にちやほやされ、金と栄光、ついでに言えば女も手に入れる」というストーリーだ。

 

世間というものは、成功者に対して苦労を求める。金と栄光を手に入れて普通の人から見ればうらやましく思える人生も、裏では(過去に、と言い換えてもいい)こんなに苦労しているんだよ、だからこそ成功しているんだよ、というものだ。

 

自分が今夢想しているのは、小説で成功した自分にインタビュアーが色々質問を投げかけているところだ。

「この小説の着想はどこから来たのですか?」

「自分が世間から疎まれている時期に、〇〇〇という経験があってうんたらかんたら」

「え!こんな天才的な文章を書く中原さんにそんな経験があったなんて!でも、そういった経験があるからこんな素晴らしい小説ができたんですね!」

「大したことないですよ」

といった具合だ。

 

我ながら浅はかな妄想だと思う。

しかし成功すれば暗い過去も、明るい未来のための「肥やし」に変えることができるのではないか、と思っている。

この辛く苦しい時期は明るい未来を築くための礎なのだ、と。

そうすれば、暗い過去も報われるってもんだ。

人生なんてそういうものかな、って思ってる。

 

こんな変なことを思いついたのが自分の激レア体験かな。

すいません、無理やりこじつけました。

 

今週のお題「激レア体験」