ミニにタコ

純文学作家志望者がつらつらと雑記を書き連ねます

涙がこぼれたら

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突然ですが皆さんはどんな青春時代を過ごしてきましたか?

僕はもう中年のいいおっさんなのですが、人生も折り返し地点まで来ると昔のことを思い出すことが多く、メランコリックな気持ちになります。

 

僕の青春時代は、まさに自分の人生の”黄金時代”でした。

今でいうところのリア充というやつです。それはもう鮮明に覚えております。

嫌というほどに。

 

今から20年ほど前、高校一年で友達もおらず部活もやっていなかった僕は

授業が終わると一目散に家に帰り、部屋に閉じこもってCDばかり聴いておりました。

 

高校生と言えば多感な時期。

周囲はみな流行りのJ-POPを聴いておりましたが、暗かった僕は恋や友情をさわやかに歌う音楽がどうしても受け入れられず、古いロックばかり聴いていました。

 

その時特にハマっていたのはレッド・ツェッペリンでした。

(主に70年代に活躍した世界的なロックバンドです)

僕もはみだし者を気取っているわりにはミーハーなところがあり、

好きな曲は「天国への階段」でした。(ツェッペリンで一番有名な代表曲)

 

当時の僕はアルバムを借りてきても、自分の好きな曲だけを

繰り返し聴く癖があり、他の曲は1~2回聴くだけで飛ばし、

大好きな「天国への階段」だけを繰り返し聴いておりました。

 

好きな曲を繰り返し聴くこと自体は誰にでもあるのかもしれませんが、

僕の場合それは常軌を逸しておりました。

薄暗い部屋で三角座りをしながら「天国への階段」だけを狂ったかのように

エンドレスでリピート。それは毎日毎日数時間に及びました。

 

授業が終わって大体昼の3時ごろに帰ってきて、7時ぐらいまで「天国~」を聴き、

晩ご飯を30分ぐらいで食べ終え、また夜の12時ぐらいまでエンドレスリピート。

たまに浮気してそれがキング・クリムゾン(70年代に流行ったイギリスのプログレッシブ・ロック)になることもありましたが、大体はツェッペリンでした。

 

あまりにも僕が繰り返し繰り返し同じ音楽だけを聴くので、

親が本気で心配して家族会議が開かれたこともありました。

 

父親が訝しげに僕に問う。

「なぜそんなに同じ曲だけを聴くのだ?それにその曲は何だ?なぜ外国の曲?」

(親は海外のロックなど全く知らない)

「いや、この曲が好きだから。この曲を聴いていると心が洗われる気がするから」

「お父さんにはよくわからないのだが、その曲はなんか物悲しくて暗くないか?もっと別の音楽を聴いてみたらどうだ?」

「お母さんもそう思うわ。最近はV6とか流行っているじゃない。ああいった音楽を聴けば気持ちも明るくなるんじゃない?」

※当時は「学校へ行こう」などが放映され、V6の全盛期だった。

「はあ」

「無理にとは言わないが、たまにはそういった音楽を聴けばお前の視野も広がるんじゃないか?友達との会話も弾むだろうし」

「そうよ。絶対そのほうがいいわ」

「はあ」

「あまりピンと来てないみたいだな。まあいい。今日はもう寝なさい」

約一時間ほど続いた家族会議は、成果のないまま終わった。

ただ、その二日後、僕が朝起きてみると枕元に「WAになっておどろう」のCDが置かれてあったことは今でも忘れられない。

 

別にV6が嫌いなわけではないのだが、当時の僕は友人たちと「WAになっておどる」などという行為はブラウン管の向こう側の世界であり、自分とはかけ離れたものに思えた。

結局そのCDは数回聴いたものの、また元のツェッペリンを聴くだけの毎日に戻った。

親も初めこそ僕に説教してきたものの途中であきらめたようだ。最終的には何も言わなくなった。

 

多感な15才という時期をツェッペリンだけに捧げた僕の青春は、

ある意味"黄金時代"と思わないですか?

ねえ、そうだと言っておくれよ。

本当は冒頭のゆかいなポーズを決める猫のように、僕だってなりたかったさ。

そんなことを思い返していると、僕の瞳から一筋の涙が。

「想い出はいつもキレイだけどそれだけじゃおなかがすくわ」

それでは今日はこの辺で。

 

今週のお題「カメラロールから1枚」