ミニにタコ

純文学作家志望者がつらつらと雑記を書き連ねます

グッド・バイ

お題「今日の出来事」

 

本日僕の退職が決定した。次が決まっているわけではない。

35歳で無職となってしまった。

理由は大したことではないが、結局は会社(社会)への不適合だ。

 

自分は今まで多くの会社に勤めてきた。

向いてないとは思いつつ、文系大学院を修了してから営業職として働いてきた。

(本当は出版関係の仕事がしたかったのだが、すべてエントリーシートで落とされてしまった。)

 

自分なりに懸命に働いてきたつもりだった。

だが、いずれも数年で退職してしまった。

 

仕事はできるほうではなく、上司や客からの叱責・罵倒に耐え切れずに辞めてしまった。我ながら心の弱い男だと思う。

 

子どものころから不注意傾向が強く、学生時代はしょっちゅう忘れ物をしていた。

また、気分屋でいったん感情が高ぶると抑えきれないこともあった。

ただ、幸か不幸かわからないが成績は中途半端に良かったため、そういった自身の致命的な欠点に気づかぬまま大人になってしまった。

 

大人になってからの僕はというと、辛いこと・苦しいことの連続だった。

社会に出て働いていたら、誰しも一つ二つは辛い思いをしているだろう。

しかし僕の場合は他の人の何倍も辛い思いをしていたように思える。

 

いや、実際には他の人と不幸を比べることはできないのだろうし、僕より辛い思いをしている人はごまんといるのだろうが、当時の僕は、自分のことを本当に不幸な男だと思っていた。

 

皆の前で叱責され、自尊心は粉々に打ち砕かれ、無能な自分を認めたくない自意識だけが肥大していった。週末は体調を回復させるためだけにほとんど寝たきりとなり、遊びに行くことも少なくなった。

周りの友人は昇進していき、結婚もし、マイホームを建て、着実に人生を積み上げていった。うらやましく、妬ましかった。おめでとうと言いながらも、心の中では素直に祝福できなかった。

 

そういった毎日を重ねるたびに、僕の心はゆっくりと死んでいった。やがて前向きに生きる気力もなくなり、鏡に映るもう若くない自分を見てはため息をつくばかりだった。

 

だが、今回の退職で少しほっとしたという思いもある。

会社員という生き方を辞め、自分のやりたかったことと向き合ういいチャンスなのかもしれない、と。

自分のやりたかったこと、それは自身の鬱屈とした思いを純文学に昇華させること。

かつての太宰や三島や芥川のように。

 

歴史的な文豪と自分を比較するのもおこがましいが、思いを持つのは自由だ。

この日を自身の記念日として、僕は生まれ変わったのだ(と思いたい)。

 

最後は太宰のこの言葉で締めくくろう。

 

銀河の風が吹いて、今日が終わる。

グッバイ、グッバイ、グッドバイバイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春~spring~

今週のお題「ホワイトデー」

→バレンタインにチョコをもらってないので、特に書くことがないですね。

仕方ないので今日あった出来事・思ったことを書こうと思います。

少しずつ寒さもやわらぎ、だんだんと春の暖かさを感じられるようになってきましたね。コートももはや要らないぐらいで、寒さが苦手な僕にとっては嬉しい季節になってきました。

 

今日の昼休み、散歩がてらに近くの公園に寄ったんですが、鮮やかに桜が咲いていてすごく綺麗でした。

小さな公園に、子ども連れの主婦二人とワンカップ片手のおっさん。傍らには誇らしげに咲いているピンク色の桜。すごくのどかな風景でした。

 

特になんてことのない時間だったんですが、ぽかぽか日差しは暖かく、ベンチに座っているだけなのに穏やかな気持ちになれました。

 

幸せってこういうことを言うんでしょうか。

 

お金がなくても、出世しなくても、こういうことが幸せだったと思える人間になりたいですね。

 

人生も折り返し地点を過ぎて、最近はささやかな幸せってものを噛みしめています。

誰かが言ってましたが、命など陽と地と詩とで満たされるものなのですね。

 

本当に僕もそう思・・・うわけないやろ!

世の中金と権力がすべてや!なんやかんや言ってもこれは抗えぬ真理!

いまだに飯塚幸三が捕まってないことを見てもそれは明らかだよ。

 

とにかくベントレーの車を乗り回し、横には派手な金髪ねーちゃん侍らせて

人生の成功者ってやつになってみたいぜ!

特に酔っぱらっているわけでもないのに、なぜかエミネムみたいなテンションになってこのブログを書いています。

 

ていうか、ヒスブルの「春~spring~」やけど、同じ意味の単語を並べる意味がわからんよね。とりあえず英語を付け加えておけばかっこいいと思ってる、浅はかな欧米至上主義の人みたい。敗戦からもう70年も経つんだからそういう意識は払拭しようよ。

 

それでは今日はこの辺で。ばはは~い。

大人の階段上る(お前は売女)

今週のお題「卒業」

 

こういうお題って絶対に童貞卒業談とかを書く人がいると思ってたんだけど、

意外にみなさん真面目に卒業について書かれているので、少しびっくりしました。

下ネタを書くと、運営から削除とかされるのかな?

まあ健全なブログ運営にはそのほういいんですけどね・・・。

 

ちなみに僕は全くもてなかったので、20歳を超えてからヤリマンで卒業しました。

(風俗ではない)

 

よく「卒業したら、世界が違ってみえる」みたいなこと言うけど、

何も変わらなかったな。

 

たぶん大人になってから卒業したからなのだろう。

感受性の強い中学・高校あたりで卒業してたら、もっと心に残る初体験だったんだろうね。その頃に卒業してたら尾崎豊聴いて泣くこともできたんだろうか。

 

人生にはタイミングがある。同じ体験でも年齢によって感じ方は全く変わる。

そういう意味では、大人になってから体験しても、大した感動はなく、

あの青臭い青春期の体験とは比べるべくもないんだろう。

 

そんなことを思うと、youtubeから流れるちゃんみなの音楽が悲しく聴こえてくるよ。

 

みなさんはいつ卒業しましたか?

 

ぼくのままでどこまで届くだろう

今日はTBSの「消えた天才 松坂大輔越えの天才投手」を観た。

かつて横浜高校にいた天才投手の話だった。

丹波慎也さんという人は野球の名門・横浜高校で1年の時からエースで、試合でも活躍していたそうだ。

 

そんな才能豊かな人だったが、練習後、家に帰ったあと一晩眠りについたら朝には動かなくなっていた。心不全だったそうだ。

 

17才の少年が突如、心不全になって帰らぬ人となるとは練習との因果関係を疑わずにはいられないが、ここではそれに言及するのはやめておく。

 

そんな才能ある丹波さんが亡くなり、チームは悲しみに暮れる。監督はチームメイトの精神状態も考慮し、予選を辞退しようとも考える。しかし、丹波さんの母は、「亡くなった慎也のためにも予選に出場してほしい」と強く懇願し、予選に出場、見事優勝し、甲子園に行くことになる。

これ自体すごいのだが、個人的には丹波慎也さんの兄の話のほうが印象に残った。

 

慎也さんには丹波幹雄さんという兄がいて、幹雄さんも野球をやっていた。同じく横浜高校に入学して、1年の時からベンチ入りし、将来有望な選手だったそうだ。

ただ、肘を壊してしまい、1年の秋(2年の春?どっちかは忘れた)には野球部を退部した。

 

幹雄さんは「その後野球をやる気はなくなった」と言い、テレビで野球を観たりすることもなくなったそうだ。

ケガの具合がどの程度だったかわからないが、おそらくケガだけでなく、相当嫌な思いをしてきたのだろう。1年でベンチ入りしたぐらいだから、先輩たちから嫌がらせされたりとかあったのかな、と邪推したりも。

恐らく生きがいと言ってもいい野球から離れたその後の幹雄さんは無気力な毎日を送ることになる。

 

そんなある日、慎也さんが幹夫さんに「キャッチボールをしよう」と言い出した。キャッチボールをしながら慎也さんは幹雄さんに

「まだまだやれるよ。野球もう一回やればいいのに」と言う。

何気ない言葉だったが、この言葉がその後の幹雄さんの運命を変えることとなる。慎也さんが亡くなる2週間前のことだった。

 

慎也さんが亡くなったあと、丹波家は暗い雰囲気に包まれることとなる。丹波さんの父親は幹雄さんの前で「幹雄は途中で野球を辞めるし、慎也は亡くなるし、俺の人生はなんだったんだ」と吐露する。

絶対言っちゃいけない言葉とは思うが、それだけ苦しかったんだろう。

暗鬱な状態になってしまった丹波家だが、幹雄さんは「慎也は夢を目指すこともできなくなってしまったが、俺の身体は動くじゃないか」と思い、そこでプロを目指し一念発起する。ブランクが4年あったにもかかわらずだ。

 

結果として、そこから血の滲む思いで猛練習し、わずか2年でヤクルトからドラフトをかけられプロ入りすることとなる。

 

非常にすごいことと思う。

 

ただ、番組では触れられてなかったが、プロの世界はやはり厳しいらしく、1軍にあがることは叶わず4年で戦力外通告を受けてしまう。

現在はバスの運転手さんをやっているという。(テレビではバスの運転手をやっているということだけを伝えていた)

 

バスの運転手という職業を否定しているわけでは決してないのだが、テレビを通してみる幹雄さんは何となく精気が感じられなかった。

ぼくの勝手な推測だが、やはりプロで活躍したかったという思いが強かったのではないだろうか。

 

番組では感動風に仕立てられており、実際ぼくも感動はした。

ただその裏で「プロになる・好きなことを仕事にする」ということの厳しさを改めて感じた。(僕はただのサラリーマンだが)

 

華やかな表舞台に上がれるのはごくわずかな人間だけ。その裏で何人もの人間が散っていくのだろう。残酷な現実があるとしても、今日の番組に感動したのは、きっと人生を懸けた人間の軌跡が美しいからに違いない。

 

ああ、ぼくのままでどこまで届くだろう。