ミニにタコ

純文学作家志望者がつらつらと雑記を書き連ねます

Mother Father Brother Sister

今週のお題「お父さん」

 

今日は父の日らしい。

正直、普段あまり意識しない日だが、はてなブログのお題になっていたので久々に筆をとってみた。とりあえず何か書いてみよう。

 

僕の父は真面目で厳格な男だ。

 

元教師で、ギャンブルなど一切やらず、酒はたしなむ程度。

家庭内では一切下ネタを言わず、しつけの際はよく殴られた。

(まあ、息子に下ネタを言う父親はあまりいないと思うが笑)

 

父に限らず僕の家系は堅物の職業人が多い。

母と叔母も教師だし、叔父も市役所勤務、祖父も大学教授など基本的に公務員が多い。

もちろんサラリーマンや専業主婦もいるが、大半は公務員だ。

 

別にそれは悪いことでも何でもないのだが、学生の時の僕はそれがひどく退屈でつまらない職業に見えた。うちの家庭は家族でカラオケにも行ったことは一度もないし、ファミレスにも行ったことがない。家族で旅行の際にサービスエリアに寄って食べたことがあるぐらいだ。

 

どうも父親の感覚ではカラオケは「低俗」とまではいかないが、それに近い感覚をもっているらしく、ファミレスなども大衆的過ぎて行くのは憚られるようだった。

家族で食事に行く際は、決まってホテルの高級レストランが多かった。

 

音楽も流行りのJ-POPなどは全く理解できず、テレビに派手な髪のミュージシャンが映るたびに「最近の若者は」とぼやいていた。

 

まあ、いつの時代でも親と言うのはそういうものだし、むしろ変に若者文化に理解があるほうが気持ち悪く感じるのだが、学生の時はそういった親たちがひどくつまらなく見えていた。

 

親には市役所に就職することを勧められていたが、上記のような感情もあり、僕は普通のサラリーマンへの道を進んだのだった。

と言っても、広告やマスコミなどのはっちゃけた業種でもなく、普通の機械メーカーにだが。(今思えば市役所を受ければ良かったと後悔している笑)

 

結局は受けた教育のせいなのか、僕自身も真面目(?)な生き方をしている。まあ、この歳になって悪ぶったりイケイケな職業が格好いいとも思わなくなった、というのもあるが。

 

何が言いたいのかわからなくなってきたが、結局真面目に生きるということは退屈でつまらないように見えても尊い生き方なんだな、と最近は思うようになった。

当たり前にご飯を食べて、学校にいったり仕事に行くということは、真面目なところがないと続けられないように思える。特に家族の生活を守る、というのはそういった退屈でつまらない日常を続けられる人でないとできないんだろう。

 

まあ、なんだ。

お父さん、父の日おめでとう。

スティックマンにチープな夢を

アメリカで白人警官が黒人を押さえつけ、その際に死亡したことが大きな社会問題になっている。

日本でもテレビやSNSなどで取り上げられ、「人種差別は良くない」ということが改めて叫ばれている。

 

人種差別が良くない、というのは今更言うまでもないことだとは思う。

だが、皆さんからお叱りを受けそうだが、正直なところ自分はピンときていない。

いや、人種差別自体は良くないと思うのだが、自分は今まであまりそういったことを経験してこなかったからだ。

 

僕は海外で暮らしていたこともないし、日本が多民族国家という認識も薄い。

今は関東在住なので、アイヌの人たちと接したこともないし、その他の外国人と接したこともほとんどない。

最近はコンビニやマクドナルドなどで外国人を見かけることが多くなったが、ただ客として買い物をするだけなので、密な付き合いをしているとは言い難い。

人生のほとんどを日本人とだけしか接したことがないので、どうにも人種問題について実感がわかないのだ。

 

ただ、twitterで一般人の黒人が今回の問題について議論している姿を見ると胸が熱くなった。

彼らにとっては人種差別とはとても身近なもので、改善していかないといけないものなのだ。

(もちろん黒人だけでなく、日本人も欧米に行ったら差別的な対応をされることもあるのだろうが)

 

そういった中で色んな団体が「人種差別反対」を主張している。

それこそ、アイドルやアーティストなども。

 

しかし、その中でも「本気」の人たちがどれだけいるだろうか?

勝手に決めつけているようで恐縮だが、今まで差別されたこともない人間がニュースを見ただけで「人種差別反対」を唱えるところをみていると、どうしても違和感がある。

あまり言いたくはないが、自身のイメージアップのための主張にしか見えないのだ。

 

「やらない善よりやる偽善」という言葉があるが、今回に限っては少し違うように感じる。

実際に募金やボランティアした場合は、それが誰かのために役立っていると思うが、

ただ言葉を唱えるだけでは何も変わらない、という気がする。今回のような人種差別問題は特に。

 

「じゃあ、お前はどうなんだよ?今回の問題について何かしたのかよ?」と問い詰められそうだが、今回の問題について僕は傍観者である。

何かしたいという気持ちもあるが、普段人種差別に無縁な人間がこの深刻な問題について安易に踏み込んではいけないという気持ちのほうが強いのだ。

 

本当に、外の世界のことがわからない。自分がどうすればいいのか。

ただ、「人種差別反対」を唱えるアイドルたちを見ると、もやもやとした感情だけが僕の中で残るのだ。

僕はラインを越えてたしかめたいことがあるよ。

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今週のお題「外のことがわからない」

 

希望を胸に

最近は暗いブログばかり書いていたので、今日は明るい、とまではいわないが普通のブログを書きたい。

 

仕事が休みだったので、今日は近くの大戸屋に行き外食してきた。

昔バイトテロがあった飲食店(店舗はもちろん別)だが、料理は割とうまいし、接客もしっかりしているので、おすすめのお店ではある。

 

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日頃からストレスが溜まっていたこともあり、今日は昼間っから日本酒を飲んだ。

いい感じに酔っぱらい、外をぶらついた。少しだけ日頃の閉塞感が安らいだが、明日の仕事のことを考えると気が重い。

 

しかし酒と言うのは、一時の安らぎにもなるが、堕落への一歩にもなる気もする。

昔から酒を飲んで堕落する作家も多いので、注意が必要かもしれない。

(ただ、純文学作家は堕落してなんぼという気もするが)

 

酒を飲んだあとは、酔った勢いで家で歌を歌った。

エルビスの「Love me tender」やイルカの「なごり雪」など昔の名曲を歌った。

懐古主義ではないのだが、昔の曲はシンプルゆえの素朴さがあり、心が洗われる。

 

コロナが落ち着いたら、ギターも習いたい。

弾き語りなんかできたら最高だな。

音楽は人生を豊かにする。

 

なんか面白いこと書こうと思ったが、

今日は特にオチらしいオチはない!何も思いつかん(笑)

たまにはこんな雑記があってもいいよね?

 

今週のお題「好きなお店」

涅槃にて待つ

ここではない、どこか遠いところへ行きたいという気持ちがある。

 

コロナのせいで毎日が疲弊しているということもあるが、このぱっとしない日々を抜け出したいという気持ちが強い。

そう、毎日を薄暗いアパートで過ごすのではなく、どこか綺麗な場所へ行けば気持ちも晴れるのではないかと思っている。

 

綺麗な風景は人を前向きにする。子供のときは風景に感動することなどなかったのだが、大人になるにつれて自然の偉大さが分かってきた気がする。

毎日をパソコンの前で過ごすなんて馬鹿げたことさ。

 

自分の人生はいつまで続くのだろうか。

格好よく言うのであれば、命尽きるまで小説を書いていきたい。

 

しかし、たまに何もかもどうでも良いと思うこともある。

嫌なこと、苦しいことからすべて逃げ出して、責任を放り投げてしまいたいという気持ちもある。

 

前向きな気持ちと後ろ向きな気持ちが、寄せては返す波のようにやってくる。

独りで過ごすことが多いからだろうか?

誰かといっしょにいれば、情緒不安定になることも少なくなるのかもしれない。

最近はそんなことを考えることも多いので、家族がほしいという感情も湧いてきた。家庭をつくれるかどうかはわからないが。

 

昔、「涅槃にて待つ」という言葉を残して若くして自殺した俳優がいた。

その俳優も今の僕のような気持ちだったのだろうか。

ここではない遠い遠いどこか。苦しさも悲しさもない、桃源郷のような場所に行きたい。だが、そんなものこの世のどこにもありはしない。

ゆえに悲しい選択をしたのだろうか。

 

ここではないどこか遠いところへ行きたい。

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今週のお題「遠くへ行きたい」

王様は裸じゃないか

人間、偉くなると自分が見えなくなるのだろうか。

今日はそんな話をしたい。

 

僕は純文学の小説家志望だが、漫画も大好きで、幼いころから現在に至るまで日々読み続けている。漫画にはキャラの心理描写や世界観など、小説にとっても学ぶことが多く非常に勉強になっている。

だが、今回は好きな漫画ではなく、あえて世間的に不評を買っている作品を取り上げたい。

 

それは週刊少年ジャンプに連載されていた「サムライ8」という漫画だ。

この漫画の原作者は、言わずと知れた忍者活劇の「NARUTO-ナルト-」で有名な岸本斉史さんだ。

本人いわく、NARUTOで培ったノウハウを全て取り込み、NARUTOより面白くすると連載前から豪語していた作品である。

編集者側も大御所作家の久々の連載ということで、全面的にバックアップしたようだ。連先開始前には、編集長のコメントが発表され、第一話を読むなり「素晴らしいお土産を頂いた」と絶賛し、その作品への期待と賛辞を延々と連ねていた。

また連載開始後には、同じジャンプの連載陣が発売した単行本にもれなくサムライ8の試し読み本を挟んだりと、販促にも余念がなかったようだ。

 

しかし、そこまで大々的に宣伝を重ねていたにもかかわらず、ふたをあければわずか5巻で打ち切りとなってしまったようだ。

ネットでの評判を除いてみたが、ほとんどは同じ文句だ。

 

「設定を詰め込み過ぎで訳が分からない」

 

このことは、作者も連載前から感じていたようだ。だが複雑な設定は最初は読みづらいかもしれないが、読者に理解さえしてもらえばそれが面白さに変わると信じていたようだ。

そういった理由もあり、敢えて設定を詰め込んだまま連載に踏み切ったようだ。

だが、次の言葉には私も耳を疑った。

NARUTOの作者が書いたものだから、読者もしばらくは我慢して読んでくれるだろう」と発言していたのだ。

 

これにはさすがに読者を舐めていると言われても仕方ないだろう。

実際、この発言に関してはネットの評価もクソミソだった。完全に読者を怒らせてしまったようだ。

 

今回このようなことに至ったのは何が理由だったのだろう?

それはやはり前作が全世界で億越えのヒット作になり、あまりに偉くなりすぎてしまったことではないだろうか。

作者の傲慢もそうだが、周囲の編集者も彼に対して何も言えなかったのだろう。

(ついでに言うと浜崎あゆみなんかも同じケースだと思っている)

 

偉くなると、その王様の椅子の座り心地はとても良いものなのだろう。

しかし、同時に裸の王様にもなってしまうこともある。

創作の邪魔になるのであれば、地位や名誉も不要なのかもしれない。

地位や名誉が、作品を面白くすることはないのだから。

 

まあ、自分は今まで偉い地位にいたこともないし、今後も偉くなることはないだろうが、そんなことを思った一日だった。

 

そして、そんな僕の自慢の一着は、

ユニクロのEZYジーンズ!

見た目はジーンズなのに、スウェット!家でもリラックスして履けるのでおすすめです!

しかも安いし。

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今週のお題「自慢の一着」

オシャレ番長

実は僕はファッションが好きだ。

センスには自信はないが、清潔で洒落た恰好をすると気分が明るくなる。

特別ブランドものにこだわっているわけではないが、

自分の気に入った洋服をゲットできると気分はうきうきになる。

 

服はデザインやカラーなどが重視されがちだが、それよりも体型にフィットしているかが一番大事だと思う。

せっかくの洒落た服も、サイズ感があってなくては台無しだ。

ラッパーのようなあえてルーズ感を出すファッションは別だが、

ブカブカでもピチピチでも野暮ったい感じが出て、途端にダサくなる気がする。

 

とりわけ、スーツはそれが顕著だと思う。

 

スーツはサラリーマンならほとんどの人が着ているが、お洒落な人とそうでない人との差は、やはりジャストサイズで着れているかどうかだと思う。

ほとんどの人は少しダボついたサイズで着ていて、どこか野暮ったい、おっさん臭い感じがする。(ビジネスの世界でお洒落さは必要ない、という人もいるが)

 

「お洒落をする」という行為は人間にしかできない、極めて文化的な行為のはずだが意外に否定されがちだ。

「外見よりも中身が大事」という通説がまかり通っているが、個人的にはあまり納得していない。

僕は「外見が中身を形作る」と考えているからだ。

外見が洒落ていて明るそうな人は話してみても大体明るい人が多いし、ダサくて暗そうな人は大体暗い。

これは外見を小綺麗にすることによって、自信が出て積極的になれるからだ。

女性のメイクなどはその最たるものではないだろうか。

 

という僕の持論を語ったところで、僕の自慢の一着は白の無地Tです。

 

いや、これはジーパンと合わせやすくて最高ですよ。

変にお洒落きどって柄物にTシャツ買うよりかは、無地のほうがおシャレです。

多分。

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今週のお題「自慢の一着」

汚れちまった悲しみに

人生とは積み上げていくものなのだろうか。

お金を得て貯金額を積み上げていく。キャリアを積み上げていく、

人望を積み上げていく。家庭を持ち、家族との時間を積み上げていく。

 他にもたくさん積み上げていくことはあるのだろう。

 

では、僕は人生で何を積み上げてきたのだろうか。

 

お金は、今まで働いてきて、わずかばかりではあるが少しだけ積み上げてきた。

キャリアはほとんどない。友人との交友も最近は減ってきており、恋人もいないので人望もない。

温かい家庭を持てそうな気配もない。

 

書いてて悲しくなってきたが、どうやら僕は今まで積み上げてこない人生だったらしい。

大人になり、社会に揉まれ、気付いたら若いとも言えないような歳になってしまった。

 

人が死を選択する時というのは「自分の人生には何もない」と悟った時なのだろうか。

今まで自殺と言う悲しい選択をしてきた人たちは、最期の時はどういう気持ちだったのだろう。

僕にはその悲しみは計り知れない。しかし不謹慎かもしれないが、その悲しみは雪のように綺麗な気がする。何の濁りもない透明な川のせせらぎのように。

 

でも、できればその綺麗な悲しみに溺れて死を選ぶのではなく、

踏みとどまって生きるという選択をしてほしい。

生きるということ自体美しいこと……のような気がする。

 

今、気持ちの安らげる人と会いたいな。

 

今週のお題「会いたい人」