ミニにタコ

純文学作家志望者がつらつらと雑記を書き連ねます

夏が来て僕ら

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耳をつんざくような蝉時雨が鳴り響く中、僕は祖父のお墓参りに行くために坂道を上っている。うだるような暑さは去年と変わらず歩いているだけで汗が噴き出してくる。しかし、不快な感じはしない。夏とは暑いものなのだから。

 

祖父は今から20年前に亡くなった。僕が高校生の時だった。特に病気だったわけではなく、ある朝、眠るように逝った。87歳だった。大往生とは言わないかもしれないが天寿を全うしたと言っていいだろう。

祖父は獣医だった。勤勉で昔の人らしく定年後も働き続けていた。自営の小さな動物病院でアシスタントもつけず、一人でひたすら動物の世話をしていた。特別お金に困っていたというわけではないので仕事が生きがいだったのだろう。たまに往診へ行くこともあったので、そんな時は僕が電話番をしていた。

 

 坂道を上り切り墓地に着いた。小さな墓地だが、どことなく情緒のある墓地だ。砂利道を通り墓地の中央にあるバケツ置き場に向かう。そこで備え付けの水桶とバケツを拝借する。照りつける太陽のせいで水道の蛇口も熱くなっている。僕は蛇口を捻りバケツに水を入れた。ジョボジョボと音を立て、バケツに水が溜まっていく。

 

 バケツに水を入れ終え、祖父のお墓に向かう。祖父というか、中原家の代々のお墓だが。

久々に来たせいか、お墓は木の葉や雑草の茎などが張り付いていた。それらを手で払い水桶で墓を洗い流す。何となくお墓も涼しげだ。

 持ってきた菊の花を添え、線香に火をつける。線香の独特の香りがする中、祖父の顔を思い浮かべながら目を閉じて拝む。

 そして今までの人生を振り返った。今年の上半期だけでなく、もっと昔のことまで。

一言でいえば、あまり充実しているとは言えない生活だった。ただ食うためだけに会社員として夜中まで働き、得るものはわずかなお金。

「生きるとは自分の望む方向へ向かい続けること」と誰かが言っていたが、そういう意味で言えばここ10年ほど僕は死んでいたことになる。自分の望む方向へは進めていなかったのだから。

「生きる」ということは簡単そうに見えて存外に難しいらしい。

 祖父は忙しく、あまり僕と会話することもなかったが最期の最期は「自分の望む方向へ進んで」亡くなったのだろうか。家族としていっしょに過ごしているときは幸せそうに見えたが、実際に本人に聞いてみたわけではないので今となってはわからない。

 

目を開ける。目の前にはどこまでも広がる夏景色と昔から何も変わらないお墓。

風が吹き、今年も瞬く間に夏が過ぎ去っていく。

 

って小説風に書いてみました!全くのフィクション!

最近小説が書けていないので、自分にハッパをかける意味で書いてみました!

はあ~9月までには長編小説書かんとあかんな、がんばろ。

今週のお題「2020年上半期」